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もし、このブログに初めてお越しの方は、まず下記の記事から読んでいただくことをおススメします。
この記事は筆者の体験をもとに書いていますが、日時や細かな状況など、個人を特定される恐れのある事柄にはフェイクが混ざっておりますことをご了承ください。
留置場で迎えた朝
ほのかに窓の外が明るくなってきました。
しかし、外は全く見えません。
しばらくすると電気がつき、留置場での1日が始まりました。
留置場には、いろいろとルールがありました。
1つ言えることは、基本的に「自由」はないということです。
まず、私を含めて全員が番号で呼ばれます。惨めな思いがこみ上げます。
決まった時間に洗顔、歯磨きをしなければならず、決まった時間にご飯を出されます。
爪切り、髭剃りも1日に1回、決まった時間にしなければなりません。
お風呂は、夏場以外は5日に1回とのことでした。(私は利用する機会がありませんでした。)
自分のお金でいろいろ購入可能なものもあるようでしたが、それも利用することはありませんでした。
留置場での食事は、とにかくまずかったです。
置かれている環境が飯をまずくしているようにも思えましたが、それを差し引いてもやはりまずかったです。
こんなにまずい白米があるのか…と内心思っていました。
朝に出されたおかずの卵焼きは、ホットケーキのような味がしました。
甘い卵焼きは苦手でしたが、まともに胃の中に入れられそうなものがそれしかありません。
卵焼きを数切れと、白米を4分の1ほど食べ、返却しました。
再び取り調べ
午前中に再び取り調べがあるということで、呼ばれました。
ここでもまた、自由がないことを実感します。
留置場の敷地内から出るときには、必ず腰縄と手錠をされます。
取り調べのときは外してもらえるのですが、そこまでのおよそ1分の道のりであっても、必ず拘束されます。
やっぱり逮捕されたんだな…というどうしようもない惨めさが襲ってきます。
写真を撮られたり、指紋を取られたり、DNAを採取された後、短時間の取り調べがありました。
前の日に気が動転して思い出せなかったことなどを話しました。
眠れずに一晩じっくりと思い出したので、それを吐き出せて意外とすっきりしました。
留置場での生活
取り調べが終わったら、留置場に戻されました。
留置場内では、とにかくすることが何もありません。
午前中に「運動」という時間があって、そのときに本棚から本を3冊借りられます。
私は、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』等を借りてみましたが、こんな状況で落ち着いて読書ができる気分ではありませんでした。
小説の冒頭、結婚の話題が出てくるあたりで妻のことを思い出し、耐えられなくなってそっ閉じしました。
部屋は2人部屋でした。相方は、60歳くらいかなと思われるおじさんでした。
最初は2人部屋にちょっと戸惑いを感じましたが、結果的にはこのおじさんに救われました(以下、親しみを込めて、「相棒」と呼ばせていただきます)。
どうやら何度もこうしたご経験があるようで、この後の流れや、どれくらい留置されるのかなど、詳しく教えてくれました。
相棒はお一人暮らしで話し相手がいらっしゃらなかったらしく、私が久しぶりの話し相手だったようで、これまでのご自身の生い立ちをいろいろ話してくれました。(めちゃくちゃ面白かったので、ここに書けない話ばかりなのが残念です。)
この相棒がいらっしゃらなければ、私の精神は崩壊していたかもしれません。
突然の知らせとかすかな希望
夕方ごろ、留置場の担当官から、今日の夜に弁護士が接見に来ると知らされました。
もちろん、自分が頼んだわけではないので少し状況が飲み込めず、留置場の担当官に聞いたところ、周りの誰かが頼んだんだろうとのことでした。
すっかりすべてを失ったと思っていた私に、かすかな希望の光が見えました。
時間になると部屋に呼ばれました。
ドラマなどでよくみる、あのガラス越しの部屋です。
弁護士さんはすでにいらっしゃり、どうしてここに来たのか説明してくれました。
妻が依頼してくれたとのことでした。その言葉を聞いただけで、私にはもう十分でした。
とにかくこれまでの経緯を話し、あとは弁護士さんが動いてくれることになりました。
私の方は、とにかくまず妻の様子を聞きました。
あと、弁護士費用のことを聞きました。あまりの金額に、ちょっと背筋に冷や汗が流れました。
留置場に帰ると、相棒が「よかったね~」と言ってくれました。
布団を敷いて横になりながら、翌日に行われる「新件」(検察への送致)と勾留裁判のことも相棒が教えてくれました。
この日はぐっすりとは眠れませんでしたが、前日よりは休むことができました。
コメント
コメント一覧 (2)
責任を取らずに死んで逃げるのか?と言われるでしょうが、ただこの苦しみから解放されたい。正直その気持ちで埋め尽くされていました。
私も確か捕まった翌日の夜に、刑事さんを通じて(それか担当さん)頼んでいた当番弁護士の先生が会いに来てくれて、その先生を国選としてお願いする事が出来たのでほんの少しですが光が見えた事を覚えています。もしかしたら弁護士先生を通じて示談を出来るのではないかと。
取り調べは初日同様、とにかく正直に話しました。なんでも話して少しでも早く釈放してほしかったからです。
やり直し人生
が
しました
私も死にたくてたまりませんでした。
やり直し人生
が
しました